コンザツ
頭の中が混雑している人が書く雑記ブログ
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8年経っても自分が被災者なのかわからない【仙台で震災を経験した私】

2011年3月11日。

私は仙台市内にある自宅で家族と一緒に過ごしていました。

どうも、コンザツ(@kon_zatsu)です。

あの日から8年が経過しました。

今でも考えたくないし、テレビやニュースも極力見ないようにしています。

そんな私には、8年経っても尚、疑問に思っていることがひとつだけ、あるのです。

私の東日本大震災経験状況

【住まい】

仙台市の平野部。

仙台東部道路にせき止められたため、津波被害は免れた、そんな立地です。

なかったらわずかだと思いますが、少し浸かっていたと思われます。

当時住んでいた建物は諸事情から非常に頑丈に作られていたため、住まい自体は何の判定も受けず、無事でした。

住まいは……。

水道のポンプ小屋がやられてしまったので、水道の本復旧は半年かかりました。

【揺れ】

震度6弱だったようです。

宮城はもともと地震の多い地域なので、何度も震度5以上を経験していましたが、言うまでもなくこれが一番強烈でした。

【ライフライン】

ガス、水道、電気、全部止まりました。

一番復旧が早かったのが電気で、こちらは1週間ほどで復旧しました。

津波や土砂崩れ等の被害がない地域(仙台市内)の中では遅い方です。

(変電所がやられたとの情報)

ガスは1か月弱。

最大余震の翌日か翌々日が復旧予定日で、余震のため数日延期に。

その余震の影響で復旧しても怖くて何日か使えませんでした……。

(復旧作業にあたったのは石川県からの応援の方でした。

ありがとうございました!)

水道は上記の通り、全く使えない(出ない)のが1か月、食用に使えない(出るけど保健所の検査待ち)のが1か月、食用に使えるようになったけど不安定なままその後4か月、といった状況で、何度も何度も断水しました。

【お店等】

仙台の割とスーパー等が充実している土地に住んでいました。

それでも開くようになるまで1週間ほどかかったと思います(停電のため)

ご近所ネットワークの強いところに住んでいたので、奪い合いみたいなことは起きなくて、

「〇〇は△△で売ってたよ!」

等、正しい情報がきちんと共有されていました。

勿論、商品の入荷はかなり少なく、かなり偏っていました。

当たり前の話です。

【炊き出し、配給や物資の配布】

ほぼありませんでした。

これ、色んな地域の災害時のニュースを見る度に思うのですが、配給や炊き出しをしているところしかテレビは映しません。

そのせいで、みんな「何かあっても配給や炊き出しがあるから大丈夫」という油断や誤解をしています。

我が家は一度だけ役所でパンをいただくことができましたが、停電してるので当然アナウンスはなく、たまたま家族が衛星電話を借りに行った時に配っていただけです。

(災害に強いヤマザキパンからの支援でした。

ありがとうございました!)

「配給や炊き出しなんて都市伝説。そんなものはない」

と、思っておいてください。

どうして災害をこんなにも繰り返しているのに、こういう誤解がなくならないのだろう……。

【避難】

いわゆる「自宅避難」でした。

これが今回の悩みの原因です。



自宅避難者は被災者なのか

「私は被災者ではない」と思い続けて8年

自宅避難(在宅避難)とは、大災害が起きた時、避難所ではなく自宅で「避難している状態」になっていることをさします。

「普通の生活と同じでしょ」

というツッコミは、なしです。

自宅建物の損壊等は一切起きなかった我が家ですが、物が散乱し、大きな家具や家電がいくつも倒れました。

(あの揺れじゃ何をどう対策しても倒れます)

ですが、避難所には入りませんでした。

というか「入れません」でした。

前述の通り、私が当時住んでいたところは、津波の被害地域に割と近いところ。

そんな私の家の近くの避難所は、当然ですが津波から命からがら逃げてきた方で満員です。

(勿論、その中にはわずかですが、周辺の住宅から避難した方もいらっしゃいます)

満員の避難所を見て、その時職員の方に

「配給、炊き出しは避難所にいる方にしかできません」

と言われ、私はこう思うようになりました。

私は被災者じゃない。震災を経験しただけの人間。だから我慢するのは当たり前で、第一に優先すべきなのは津波被災者だ」

と。

これは私だけではありません、私の家族も、似たような土地に住んでいて津波の被害を受けていない人達、ほぼ全員がこのような気持ちを抱きました。

そのため、一切行政等に対する文句は出なかったし、ライフラインの復旧も焦らずに待っていました。

(津波だけではなく、丘陵部の土砂崩れ等の被害に遭われた方も被災者です)

でも「自分は被災者なのではないか」という疑問が湧く

私はその数年後、事情があって東海地方に引っ越しました。

(東日本大震災の地から南海トラフのリスクを抱えた土地への引っ越し、できることならしたくありませんでした)

そこで私は知ることになります。

「避難所に入っていなくても、配給や炊き出しは受けられる。自治体にかけあえば支援は必ず受けられる」

ということを。

あの状況にいたら、そんな要求できるはずないんです。

私たちは経験者であって、被災者じゃないから。

でも、私はこの言葉を聞いたり、その後の熊本地震や各地で起きた豪雨災害のニュースを見て、

「もしかしたら、私も被災者なのではないか」

とたまに思うようになってしまったのです。



羽生結弦選手と少し似た状況であった

羽生選手は避難所生活を送った

仙台市出身。

フィギュアスケート、ソチオリンピック、平昌オリンピック金メダリストの羽生結弦選手も、東日本大震災に翻弄された人です。

彼の場合、確か住まいは水道管が破れるなどして半壊の判定がなされたはずです。

そのため、数日間避難所で生活をしたようです。

私が住んでいたところから、羽生選手の住まいは離れた場所にありますが、

「羽生くんの辺りは被害が結構あったらしい」

という話は聞こえてきました。

なので、同じ仙台市民の多くは彼が

「致し方なく、安全を求めて避難所に避難をした」

ということを知っています。

アンチによる東日本大震災を絡めた羽生選手に対する誹謗中傷

フィギュアスケートって、どの選手にも熱狂的なファンがいますが、その逆も凄いんです。

熱狂的アンチ。

羽生さんにもいて、こういう時期が来たり、羽生さんが震災関連の活動をしたりすると、必ず震災を絡めて誹謗中傷をします。

「被災者ぶるな」

「たった4日間避難しただけのくせに」

私は、まるで自分が言われてるように感じて、酷く悲しくなりました。

羽生選手は自分のことを「東日本大震災で被害を大きく受けた被災者である」なんて一言も言っていません。

なぜなら彼もきっと

私は被災者じゃない。震災を経験しただけの人間。だから我慢するのは当たり前で、第一に優先すべきなのは津波被災者だ」

このような、私の感じたことと同じ事を感じていたと推測できるからです。



自分より苦しんでいる人がたくさんいるという考え

羽生選手は、いろいろな葛藤を抱きながらスケートを続けたと思います。

被災地ではまだまだ苦しんでいる人がたくさんいるのに、スケートをしていていいんだろうか、何度もそう思ったのではないでしょうか。

私もてんやわんやの日々が過ぎて、ふと冷静になってとても怖くなりました。

「私が右往左往しながら生活していた時に、たくさんの方が冷たい水や泥の中、命を失っていた……」

私の身内や友人は全員存命です。

しかし、中には「1階が水没し、2階で一晩待って救助が来なかったので、泳いで脱出した。流木等で怪我をし、ショックから終わったばかりの生理がすぐきちゃった」と、私に話してくれた子、田畑がやられた農家の子もいます。

(田畑復活には2年かかりました)

石巻に実家がある友達は「まるで戦争のあとのよう」と言っていて、この言葉は生涯忘れることはできないと思います。

そんなこともあって、私はずっと

私は被災者じゃない。震災を経験しただけの人間。だから我慢するのは当たり前で、第一に優先すべきなのは津波被災者だ」

と思い続けているのです。

でも、はたから見れば、私は被災者なのだろうか。

もっともっと、あの時は大変だったんだ! と、声高に主張して良いのだろうか。

この疑問を未だに抱えているのは、きっと私だけではなく、羽生選手だけではなく、大勢いると思うのです。



これからもこの疑問を抱えて生きていく

私は震災以降、3月11日が近づくにつれて、メンタル状況が悪くなっていきます。

元々あたたかい、暑い季節が苦手というものもあって、気温の上昇とともにメンタルが不調になるのですが、それが顕著になってしまいました。

自分の知らないうちに、数キロ先ですさまじい光景が広がっていたことを、日が経つにつれて想像する回数が増えてしまっています。

また、自分達が当たり前のように我慢(我慢という意識もなかった)していたことを、簡単そうにお風呂や食事の内容まで細かく要求しているように見えるテレビの中の別の災害の被災者にいらついたり、デマを流す人だけではなく引っかかる人にも少し、いらつきのような感情を覚えることも増えてしまいました。

「私も被災者だったんだ」

こう思えば少しは楽になるのかもしれません。

でも私は、そこまで開き直ることができていないのです。